農業人今昔物語

部屋を掃除していたら出てきた、卒業アルバム。
18からあまり変わらない自分をみて、これはもしや「老化も遅いのかもしれない」と確信。
その頁は、5年以上開かれず、帳のなかは、ドラクエ3で、勇者ロトが初めてアレフガルドに到着した時を彷彿とさせる闇に包まれていた。
帳の中には、描かれていた。文化祭での思い出や、遠足、修学旅行……

そして、一度も想いを告げることもなく、別れてしまった女の子の写真。
卒業前に、行動を起こしていたら、どうなったのだろうか。
現実の自分は、感情を宿した9年前、自我を抑えるごとく、彼女と距離を置き、決して自分から話しかけることなく、相手が話しかけてくるのを待ち続けていた。当時はどんな話でもよかった。ただ、話がしたかった。

今でも、昔のことを何度も考えたことがあり、夢で見ることも。
行動を起こしたとしよう。さすらば、今の生活はちょっとだけ変わっていたかもしれない。
週末は時々、温泉三昧の生活ばかりでなく、その子を車に乗せ、ドライブに行っていたかもしれない。
そして今、確信する。それが人生における、最初で最後の出会いだったのかもしれない、と……

今現在の音沙汰なし……つまり、男だらけの職場で農作業に精を出す男は着々と、三十路への階段を登り詰めている。
このまま、終わってしまうのか?
今は、そうなってもいいと思うようになってきた。
その気持ちを隠すかのように、ゲイにはならずとも、ゲイカルチャーを信仰し、ホモビデオを見て、その滑稽な演出に笑う自分がそこにはいた。
「野郎と絡まずとも、俺はゲイ、ファッションホモだ……」虚像の自分を自分に押しつけ、強い理性が、弱い本能を矯正している。

ホモは自分の中で正義なのか、悪なのか。まだそれはわからない。それがわかるとき、自分は変わっていくのではないのか?